【マイシティ
】
常陸太田市は、かつての佐竹氏の城下町として、また、徳川光圀公隠棲の地として知られており、歴史と伝統が育んだしっとりとしたたたずまいを持っている。
これまで市の中心は鯨が丘と呼ばれる高台であった。最近では、その東側に位置する国道349号線沿いに市役所、警察署、消防署など殆どの公共機関が移転しており、市街地構成も変化してきている。また、
など大型の住宅地の開発も進展している。
- 海進海退と古墳文化
太平洋から深く流入した海水が、日立市久慈町から大森・真弓町の台地の下を洗い、常陸太田市街に及んでいたことが、点在する貝塚などから推測される。また旧石器時代から縄文・弥生時代にかけて様々な生活が営まれていたことが、多くの古墳群や遺跡などからわかっている。
- 久自国と大和朝廷
大化の改新以前は常陸とはいわず、新治、筑波、茨城、那賀、久自(慈)、多珂の国と呼ばれていた。常陸太田は久自国に属していた。当時この久慈の地に長幡部と呼ばれる部民がおり、薄い羽二重の絹織物を織っていた。この織物は伊勢神宮の祭礼や、天皇の即位儀礼と新嘗祭が結びついた大嘗祭で用いられる重要な織物であった。
- 戦国大名佐竹氏の発展
平安時代の末期から江戸時代以前の約500年、常陸太田を中心にして現在の県北一帯を支配したのは常陸の豪族佐竹氏である。しかし関ヶ原の戦いで優柔不断な態度をとった佐竹義宣はその責めを受け秋田に国替えを言い渡される。常陸に伝統的な勢力を持つ名門佐竹氏の存在は、関東一円を完全に抑えておこうとする家康にとって最も目ざわりな存在であったためである。
- 水戸藩の成立と常陸太田
慶長15年、徳川頼房を藩祖とする御三家水戸藩が成立した。第二代藩主は水戸黄門で知られる光圀で、藩主として30年間在職し63才で引退した。その後、西山荘に移り住み大日本史の編さんにあたった。
観光・史跡 (写真は常陸太田市史から)
- 西山荘 御存じ、水戸黄門が隠居した所

- 瑞竜山 水戸家歴代藩主のお墓が点在する巨大な霊園。
- 佐竹寺 坂東33観音霊場第22番札で、国の重要文化財。所初代藩主佐竹昌義の帰依を受け、以来、代々の祈願寺であったが、佐竹氏が秋田に移封されると同時に衰退していった。

7世紀ころの築造とされる幡横穴には、鳥や龍・船などの線刻壁画が描かれている。(毎年春・秋に、一般公開あり)
- 長幡部神社(機織りの神様、結城紬の発祥の地)
- 観光ぶどう園(巨砲)、観光梨園(幸水、豊水、二十世紀)など秋は果物が豊富
- 大理石(阿武隈山地南端西側、山肌が露出している。)
- コートランド岩(長谷渓谷、日本でも数箇所しか見られない)

宿泊
- 国民年金健康保養センター ときわ路 TEL 0294-72-4141
- ホテル釜満 TEL 0294-72-1188
- ビジネスホテル
(2003年にオープン,新しいのでいいかも)
近郊の名所・名物
- 竜神峡、竜神大吊り橋(日本一の歩く吊り橋、4月から5月にかけてたくさんの鯉のぼりが泳ぐ):(水府村)
- 里美牧場、プラトー里美(大きな風車がある):(里美村)
- 赤土、幻の名粉と言われるそば粉がある:(金砂郷町)
などなど...